不平等への過度な嫌悪

平等ではないことを過度にネガティブに捉えてしまう考え方

カテゴリ:不合理な信念

特徴

不平等への過度な嫌悪とは、全体の幸福があってはじめて個人の幸福があるという信念で、不公平を過度に嫌う思考のことです。この考えが強いと、自分や他人が極端に得をしたり損をする状況を嫌う傾向にあります。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治の考え方に代表されるように、自分や一部の個人だけが得をする状況を納得できず、罪悪感を抱いてしまいます。

まず個人の幸福があって、一人一人の幸福が実現された結果として、全体の幸福が訪れるのではないかと考えるのが普通ですが、不平等への過度な嫌悪が強すぎると自分のために時間や努力を費やすと、悪いことをしているような気がするかもしれません。

もちろん、この利他精神は非常に重要で、素晴らしい要素なので決して自分を責める必要はありませんが、それがかえって自分の心を疲弊させてしまうこともあります。

ただ、あまりにも他人主義や全体主義的な傾向は自分の幸せや感情を無視・軽視してしまうため、疲弊してしまいます。また皮肉なことに、『「利己的な人」はチームメンバーから嫌われるが、利己的ではない、チーム全体のための行動をする人も嫌われる』という、心理学の実験結果も発表されています。これは、「利己的でない人」はメンバー全体に求められる「基準」を引き上げてしまい、他の同僚たちを「悪く見える」ようにするため、同僚たちの恨みを買うことになるからと言われています。

具体例

「この世は親切と安らぎの場所であるべきだ」と思う

「友人の悩みは自分の悩みであるべきだ」と思う

「仲間外れになるということはあってはならない」と思う

「不公平は断じてあるべきではない」と強く思っている